境内案内

祥雲寺の境内をご案内いたします。

祥雲寺 境内フォトギャラリー

山門

広尾商店街の突き当たりに佇む寺町
山門をくぐれば別世界
都会の喧騒とは無縁の空気
そこは江戸時代 徳川将軍が鷹狩りに立ち寄ったお寺でもある
徳川綱吉、吉宗、家重、家治、家基、家慶…
臨済宗 大徳寺派 祥雲寺

祥雲寺境内入口

春には桜、秋には大きな銀杏が銀色に輝き、本堂へと出迎えてくれます。関ヶ原の戦いでも活躍していた初代福岡藩主 黒田長政公を弔うために祥雲寺は創建されました。黒田長政の嫡子である忠之が開基となって赤坂、その後、江戸大火によりこの広尾へ移転したと伝えられています。
福岡藩の他に久留米藩・秋月藩・直方藩・下野吹上藩・大和柳本藩・大和新庄藩・安倍藩などの大名墓地群が拡がり、諸大名の菩提寺である祥雲寺では、歴史を刻んだ武将と出会うことができます。

黒田長政公の墓所

当山には筑前国(現在の福岡県)福岡藩の初代藩主、黒田長政公の墓所がございます。黒田長政公の墓所は渋谷区の指定文化財に認定されています。

黒田長政(1568年〜1623年)

安土桃山時代〜江戸時代初期にかけて活躍した武将。豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田如水(孝高)の長男で、関ヶ原の戦いにおいて一番の戦功を収めたことから筑前福岡藩52万3000石の初代藩主となった。ちなみに墓所は祥雲寺の他に福岡県福岡市博多区の崇福寺にもある。

本堂・書院

寛永6年(1629年)8月、麻布市兵衛町に新地を拝領し移転、瑞泉山祥雲寺と改称されました。明暦2年(1656年)2月28日、麻布市兵衛町畠山家屋敷(現六本木三丁目4番地)隣に抱え地を求め『寛政呈譜』今大路正紹条には寛永6年、同家が拝領した屋敷を瑞泉山祥雲寺としました。 移転には幕府医官今小路家(曲直瀬家)が深く関わっていたと考えられ、安政年間(1854~1860年)に禅宗建築による書院造が建立されました。

茶室

祥雲寺は大徳寺派に属します。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院です。貴族や大名だけではなく、商人や文化人の信仰をも集め、特に、わび茶を創始した村田珠光が一休宗純に帰依した頃から、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深くなり、多くの茶人(千利休、小堀遠州ら)とも縁が深くなっていきます。祥雲寺には洞明庵・済北庵・春宵軒・半隠軒・無功庵・棲玄庵・真常庵などの茶室があります。

祥雲寺全景

時を告げる響き、準国宝の梵鐘。除夜の鐘には、たくさんの方々が鐘をつきに参拝に来られます。境内6000坪の敷地を有し、江戸の諸大名墓地群が並び、東京都・渋谷区の文化財となる史跡でもある境内は、京都の禅寺の雰囲気を感じる静寂な佇まいです。奥庭には緑に輝く苔と踏み石、蹲、茶室と続きます。江戸時代は、触頭として大徳寺派の特定の寺院として任命を受け、地域寺院の取りまとめとなった寺院でもあります。

墓所全景

歴史の息吹を感じる。
さぁ歴史の息づく街、広尾へ