豊臣秀吉の天下統一に貢献した福岡藩主黒田長政は、京都紫野大徳寺の龍岳和尚に深く帰依していたので、 元和9年(1623)に長政が 没すると、嫡子忠之は龍岳を開山として、赤坂溜池の自邸内に龍谷山興雲寺を建立しました。寛文6年(1666)には麻布台に移り、瑞泉山祥雲寺と号を改め、 寛文8年(1668)の江戸大火により現在の地に移りました。長政の墓は、墓標形として建てられた雄大なものです。祥雲寺の檀家には武家が多かったため、福岡藩主黒田家をはじめとして福岡藩の分家秋月藩主黒田家・ 久留米藩主有馬家・吹上藩主有馬家・柳本藩主織田家・岡部藩主安倍池・小野藩主一柳家・狭山藩主北条家・園部藩主小出家など諸大名の墓地群があります。